世界遺産とイタリア~初めて訪ねた懐かしい国

イタリアには53カ所もの世界遺産(文化遺産48、自然遺産5)が登録され、その数は世界一です。

あとの順位は以下のようになっています。

 2位・・中国    52件

 3位・・スペイン  46件

 4位・・フランス  43件

 5位・・ドイツ   42件

 6位・・インド   36件

 7位・・メキシコ  34件

 8位・・イギリス  31件

 9位・・ロシア   28件

10位・・アメリカ  23件

11位・・イラン   22件

12位・・日本    21件

日本の登録件数はイタリアの4割ぐらいなんですね。。

先日観光した佐渡金山なんかも立候補してるので応援したいです。

 

それにしてもなぜイタリアにはこんなに世界遺産が多いんですかね?

 

世界遺産登録の規定では、

「文化財、景観、自然など、人類が共有すべき顕著な普遍的価値を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象」

となっています。

 

以前イタリアに1カ月程滞在した事があるんですが、訪ねた世界遺産は、13カ所ほどです。

備忘録と紹介を兼ねて写真をまとめてみましたので、良ければ見てください。(殆どWikipediaの引用です。。)

イタリア~海外旅行で使えるクレジットカードの節約効果

 

ミラノ

ミラノ大聖堂

ドゥオーモ広場にあり、ミラノの2大アートと言われますが、残念ながら世界遺産ではないそうです。

ゴシックの複雑で華麗な造りと巨大さに圧倒されます。

 

サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会

ダ・ヴィンチの最後の晩餐があり、見た目は貧相なんですがこちらの方が世界遺産です。

かなり前に予約しないと中に入れないので、全込みのツアーに参加するのがベターです。

平日早朝なら飛び込みでも入場させて貰える事もあります。

最後の晩餐

福音書に登場する一場面として、弟子の裏切りを予言するイエス・キリストと、それを受けて動揺する弟子たちの様子を、それまでに無い写実性をもって表した。縦4.2m×横9.1mの巨大なテンペラ画。一点透視図法が用いられ、あたかも絵の奥のほうまで食堂がつながっているかのような錯覚を起こさせる。

中は撮影禁止なので外の看板を撮ったんですが、実際の壁に描かれた絵の大きさは教科書と全く印象が違うのに驚きます。

イエス様の足元は本当は描かれていたのが、近年まで教会の通路として壁がくり貫かれており、それをモルタルで埋めたそうです。

普通の絵画と違って、移動できない絵は不動産として世界遺産登録して保全すべきということですね。。

 

 

ヴェネツィアとその潟


鉄道でヴェネツィア島に渡り駅を降りるとすぐ、車やバス全島禁止の別世界になります。

「水の都」と言われ、島内の移動は船か徒歩のみになります。

5世紀頃ゲルマン族の進入から逃れるために、当時湿地帯であった場所に街を作ったのが始まりといわれている。その後、海洋貿易での立国を目指し、十字軍の遠征による権益の拡大、ジェノヴァ共和国との戦争で繁栄は最高潮を迎えた。アドリア海の女王とうたわれたが、18世紀には一年の半分をカーニバルで過ごす歓楽の都と化してしまった。ヴェネツィアの街は100以上の島々が、およそ400の橋と150をこえる大小の運河で結ばれている。潟の上になるヴェネツィアは、常に治水対策が重要課題であった。近年は、丸太の杭を潟に打ち付けてそれを建物の土台にする工法の最大の欠点と、地下水の汲み上げによる地盤沈下が大問題となっている。更にそれに追い討ちを掛けるように地球温暖化による海面上昇により水没の危機にさらされている。

 

ヴェネツィアはブラジルのリオ、カリブのトバゴと並び世界3大カーニバルで有名ですが、開催は2月末頃です。

僕が訪ねた時は仮装した人がちらちら見られる程度でした。

こうした現実離れした水上都市が地盤沈下で衰退していかないように世界遺産として保全措置しないといけませんよね。

車が乗り入れた日にはみるまに沈んでいってしまいそうです。

 

サン・マルコ広場

ナポレオンが 「世界で最も美しい広場」 と評したといわれています。

イタリアは 「世界で最も」 が沢山あります。。

 

カナル・グランデ(大運河)の建築群

「世界で最も美しい通り」 と呼ばれているそうです。


大運河はバポレットという大型水上バスに乗って観光します。
3日乗り放題で€35(5千円ほど)。

 


小さな水路はゴンドラでしか行けませんが、40分€80(1万円ほど)掛かるので、多人数でないとキツイですね(6人乗り)

 

 

フィレンツェ歴史地区

歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができます。

「花の都」 とよばれています。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

花の聖母マリアの意味を持つ大聖堂。1296年に着工。140年以上の歳月をかけて建設されたため、ゴシック・初期ルネサンス・ネオ・ゴシックの各様式が混在している。石積み建築のドームとしては世界最大。

路地を抜けて忽然と現れた、夕闇の中に見上げるばかりの巨大な建造物に圧倒されました。。

この旅で一番感動した光景です。

ウフィツィ美術館

近代式の美術館としてヨーロッパ最古といわれる。建物はもともと、ヴァザーリの設計で1580年に完成したフィレンツェ共和国政府の政庁舎だった。したがって、ウフィツィ(Office)の名がつけられた。メディチ家が収集した美術品を保管するため最上階を改装したものの、メディチ家が1737年に断絶された後も美術品は残され一般に公開されるようになった。もっとも広い部屋は、ボッティチェッリの間とも呼ばれ、ボッティチェッリのヴィーナスの誕生や春が飾られている。

ウフィツィ美術館からヴェッキオ宮殿とは、ヴェッキオ橋の2F、ヴァザーリの回廊で結ばれています。

年数回しか公開されません。

 

ピッティ宮殿

ルカ・ピッティがブルネレスキに依頼して建築し、16世紀半ばにメディチ家が購入し、現在は、2つの美術館と5つの博物館になっている。

 

ボーボリ庭園

ピッティ宮殿の背後に広がる。コジモ1世が、肺結核の妻の療養のために16世紀半ば造営したといわれている。

人影もなくのんびりできます。あまりに広大で迷子になりましたが。。

 

 

アカデミア美術館

ウフィツィ美術館と並ぶイタリアの2大美術館。

ミケランジェロのオリジナルダビデ像がある事で有名です。

道路に絵を描く画家さん!

さすが芸術の都。

 

 

 

 

ピサのドゥオモ広場

世界遺産に登録されたのは1987年。
ドゥオモ広場に建つ、洗礼堂、大聖堂、鐘楼。

ピサはヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィと並ぶ4大海運国家の1つでしたが、ジェノヴァとの抗争で疲弊しながら13世紀にはフィレンツェ大公国に支配されました。

今でもこれら4都市対抗でのレガッタ競技が開催されています。

ピサの斜塔

円筒形の8階建てで、階段は296段ある。高さは55m、外径は約20m。1173年に着工し1372年に完成、と200年にも渡って建築工事が行われた。工事が長引いた原因は、着工直後から始まった塔の傾き である。この為、本来塔は本来100m以上の高さを予定していたが、約半分の高さでの完成を余儀なくされたといわれている。

塔は現在、南に向って約4度傾いている。16世紀に、ガリレオ・ガリレイによる落下の実験が行われたという伝説が残っているが、その事実は無い。近年傾斜の増加が著しくなったため、1990年に一時立ち入り禁止となった。 そして10年間にわたる傾斜防止作業が終了し、2001年に一般公開を再開した。

 

再び傾く危険があるので、1度に40人ずつしか中に入れません。

予め予約を入れた方が無難です。

らせん階段を上ると遠心力なのか傾きなのか、どうにも変な感覚でした。。

 

 

ローマ歴史地区

「永遠の都」、「全ての道はローマに通ず」と言われるように、太古から欧州に君臨した都市です。

Romaを逆に読んでAmor(アモーレ)が愛の意味なので「愛の都」とも。。

登録は1980年で、ヴェネツィア広場を中心としたエリアが登録されています。

フォロ・ロマーノ

フォロとは、広場のこと。ローマ帝国の政治、商業と市民の生活の中心だった場所である。フォロ・ロマーノが本格的に整備されるようになったのは、ユリウス・カエサルの時代で、アウグストゥスがこれを引き継いだ。

コロッセオ

80年にティトゥス帝が建築。長径が188m、短径が156mの楕円形。高さは48mの4層構造。収容人数は6万人以上。ローマ帝国時代、ここでは血をすわせるため白い砂が撒かれその上で剣闘士同士や、剣闘士と猛獣の戦いが見世物として行われた。

太古の時代にローマコンクリートで石材を固めながらこれほど巨大な競技場を作れたことに驚きます。

ただ近年まで廃墟同然で石材がドンドン盗まれ、今は1/3ほど無くなった状態になってしまい、世界遺産登録することでようやく保全できているという事です。

連日長蛇の列ですが、朝早い時間なら非常に空いています。

 

カラカラ浴場

217年にカラカラ帝によって造られた公衆浴場。1600人収容可能だったと推定されている。浴場以外にも図書館などもあり、ローマ市民の娯楽施設であったことが伺える

映画テルマエロマエでお馴染みの太古のスーパー銭湯。市民は無料だったそうですが。。

ローマ市の外れにあり人通りが少なく、観光客も殆どいないのでのんびり楽しめます。

 

ローマで残念だったのは

日頃の行いが悪かったか、当時はスペイン階段もトレヴィの泉も閉鎖してました。

トレヴィの泉で後ろを向いてコインを投げれば再びローマを訪れることが出来るそうですが、もう行けないということですかね?

 

ローマで日本食がとても美味しいお店


食のイタリアとは言え、長期滞在するとやはり日本食が恋しくなります。


スーパーに行けばオスシも売ってますが、砂糖菓子みたいな食感。

日本料理店は多いですが、やはりちゃんと再現されていません。

そんな中、濱清さんは日本人が調理しているので全く違和感なく食べられます。ローマ滞在中は毎食のように食べに行きました。

 

ローマは治安が良いとは言えません


宿泊先近くの地下鉄乗り場。。

見るからに怪しく、危ない気配ですが、案の定スリに出くわしました。

ちなみに顔のない人は怪しいですが単なるパフォーマーです。

 

 

 

 

 

 

ヴァチカン市国

カトリックの総本山として知られる。バチカン全域が世界遺産

サン・ピエトロ大聖堂

64年に皇帝ネロの迫害により殉教した使徒ペトロの墓の上に建築されたといわれている。建築を命じたのはコンスタンティヌス帝で、324年のことであった。さらにサン・ピエトロ広場の工事がジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により始まり、1667年に完成した。284本のドーリア式円柱で装飾された回廊により広場を取り囲むように構成されている。回廊の上には、ベルニーニの弟子らが作成した140体の聖人の像が飾られている

システィーナ礼拝堂

ミケランジェロが4年の歳月をかけて描いた大天井画の創世記、やはり6年の歳月をかけた最後の審判の壁画があることで有名

バチカン美術館

バチカン宮殿の北側にある美術館。

見学には2週間かかるほど大量の所蔵品。

金曜日にナイトコースがあるので、時間を有効に使えます。

 

 

 

アルベロベッロのトゥルッリ

アイア・ピッコラ地区とモンティ地区が世界遺産に登録され、合わせて1500軒あまりのトゥルッリがある。石灰(漆喰)で仕上げた円筒形・長方形の家の上に、キノコのような形をした灰色のとんがり屋根が載っているのが特徴。「小人が集まったような」「おとぎの国のような」という形容で語られる。農民の家は解体しやすいよう簡易に建設することが領主によって命じられていたという。理由は課税対策で領主はナポリ王国に対して家屋に応じた税を納めねばならなかったため解体しやすく再建しやすいような構造にしたという。

そもそもが壊れ易い設計なので、定期的な保全修理が必要です。

屋根を積む職人さんが減って、もう数人しかいないらしいですね。。

20年前から現地結婚して住んでいる日本人のヨーコさん。
親切に色々教えてくれて、美味しいお店も予約してくれました。

 

 

 

アマルフィ海岸

世界一美しい海岸と云われる景勝地・避寒地で、1997年に世界遺産(文化遺産)に登録された。ヘラクレスが愛したニュンペーの名に由来した地名。ある日突然、彼女が死んでしまい、それを嘆いたヘラクレスはこの世でもっとも美しい土地に彼女を葬り、街を切り開いて彼女の名を付けたとされる

 

夏のリゾート地なので冬場は空いてます。

クリーニング屋さんが1件あって溜まっていた下着を洗濯してもらいました。数時間で乾燥から折畳みまでしてくれて、旅の途中にはとても助かりました。

斜面に沿って高層マンションのように並ぶ家並みは、織田裕二主演映画「アマルフィ」の舞台です。

メインテーマの Time to Say Good-Bye が凄く有名ですよね。

 

ポンペイの遺跡

ナポリ近郊にあった古代都市。79年の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡はポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域として、世界遺産に登録。

火砕流で埋もれた人の形が空洞となって残り、石膏を流して再現されています。
ヴェスヴィオ火山は今でも活発なのに、周囲を鉄道が走っているなど、世界でもっとも危険な生活圏と言われています。

 

 

ナポリ歴史地区

ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼる。

当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリスと呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていた。

「ナポリを見て死ね」と言われる景観は遠目にはとても綺麗です。

ただ路上に放置されるう〇こや落書きがひときわ多く、世界でもっとも近くで見てはいけない観光地です。。

イタリア人ですら敢えて足を踏み入れないほど治安が悪い(特にスペイン地区)と記述されていたので、主にカプリ島やポンペイへの中継地として活用しました。

ナポリをスパっと2つに分断するスパッカナポリという通りには古い市街が建ち並び独特な雰囲気を感じます。火山噴火で埋もれた地下宮殿があります。

 

 

 

ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々 (シチリア島南東部)

シチリア島の東南部にある8つの町、カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの街並みが2002年世界遺産に登録。1693年に発生した地震でこれらの町は壊滅的な打撃を受けた。地震の後、地元の貴族らの働きにより後期バロック様式で統一された建物が築かれ再建された。

ラグーザ

ラグーザは、古くはイブラ と呼ばれた町である。深い渓谷に区切られた3つの丘の上にある町である。地震後、同じ場所で町の再建が計画された

起伏が多い場所で移動が大変ですが、観光客が極めて少なく、しんみりとした旅情を楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群

人口約68万人のシチリア島最大の都市にしてシチリア州の州都であり、パレルモ県の県都でもある。独自の国際色豊かな文化を生み出した中世シチリア王国の古都

コッポラ監督のゴッドファーザーPartⅢの舞台になったマッシモ劇場。

映画ではマイケル(アルパチーノ)の娘メアリー(コッポラ監督の娘)が殺されたシーンのロケ地です。

 

 

 

アグリジェントの遺跡地域

古代ギリシアの植民都市アクラガスに起源を持ち、当時の遺跡が現在も残る。神殿の谷はアグリジェントの考古学地域として、世界遺産(文化遺産)に登録

 

国鉄のストライキでパレルモから往復バス移動だった上、駅から遺跡までのバスもあまり便がなく不便でした。

それでも何人も出会った日本人観光客同様、魅力を感じる場所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリアに行ってみて思う事

 

以上、もう何年も前の事なので、かなり雑で適当な旅日記になりましたが、多少でも参考になる話があればいいなと思います。

 

イタリアをあちこち訪ねてみると、古い建物を壊さないでなんとか利用し続ける文化と、どんなに昔の建物でも原型を留める耐久性の高い石造りによる建築思想が理解できます。

 

日本の朽ち行く木造建築(それはそれで味わいあって良いモノだし、上手に設計された法隆寺は1000年保ってますが。。)と、基本的に数十年で古くなったら、あるいは不便になったらすぐ建て替える文化とは思想も国民気質も違う気がします。

 

思想基盤はやはり保守的なカトリックの影響が強いんでしょうか?

古くからの町並みはほぼ例外なく教会を中心に発展しており、実際100年単位で教会を造り町を造っていくので、それは信仰心が無ければ不可能ですよね。。

 

そういう時間スケールで造ったものはますます壊すのが勿体ない、莫大な保全費をかけてでも永久に保存したくなるのが、イタリアに世界遺産が多い理由なのかな、と今は解釈しています。

 

 

イタリアと日本には共通点も多いです。

 

第2次大戦で同盟して、敗戦から復興した国というのもありますが、それ以前においても群雄割拠や封建時代から近代的な統一国家になったのは両国ともわずか150年前。

しかも南北に長く、どうしても地方色が濃い点。

 

北部はフィアット、フェラーリ、ランボルギーニに代表される自動車の製造工業地帯ですが、南部はオリーブ、小麦粉、レモン、トマトといった農産物が主体で、やはり経済的な格差は大きいです。

 

治安面も南部は悪く、語学力には差があるようです。

ただ南部の人は英語が通じない代わりにバス乗り場や降り口を運転士さんに伝えてくれたり、車で送ってくれたりして非常に親切で、お世話になりました。

北部では拙い僕の英語にちゃんとした英語を話せ!とか冷たい対応が多かったのとは対照的な気がします。

 

食事への拘りも似てますね。

ただ、外国の食文化を積極的に取り入れてきた日本とは異なりイタリアは閉鎖的で自国料理が一番という意識が強いです。

勿論イタリア人にとっては間違いなくイタリア食が世界一ですが、日本人にとっては日本食が世界一ですけどね。

ミラノ万博はそういう閉鎖的な食文化を反省して、食のテーマでやったそうです。

 

ヨーコさんいわく、北はリゾットなどのコメ文化、南はピザなどのコナ(小麦粉)文化らしいですね。

道理でナポリのピザは大変美味しかったです。